ネトウヨ大百科掲示板 409780

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安楽死について語るスレ

1:普通じゃない日本人 :

2020/07/26 (Sun) 06:22:03

タイトル通りです。
2:頭端式ホーム :

2020/07/26 (Sun) 08:57:08

自分はこの人のツイートと同意見で、安楽死についてはまだ日本では早すぎるのではないかと思うんですよね。
日本は社会成熟がかなり進んだうえで安楽死を導入すべきだと思うのですが普通じゃない日本人さんはどう思いますか?
https://twitter.com/ngc2497/status/1286509228471930880

3:普通じゃない日本人 :

2020/07/27 (Mon) 03:41:37

>>2
私も安楽死導入は早急すぎると思いますね。
ただ、その旨を堂々と述べる奴は「情に厚い一般市民」ではないと思います。

なぜならその意見は
死にたいと思うほどの苦しみを
「死を強要される社会を防ぐために」”やむを得ない犠牲”として切り捨てるという事だからです。
社会の為に個人が犠牲になっている点では賛成派と何も変わりません。

いや、生きたいと思える社会を作るのが大切なんだ、と反対派はいいます。
確かに正しい意見です。
ですが、これは最大公約数にすぎません。当たり前の事言ってるだけです。

ではこの意見は何が足りないのか、
それは「そんな社会が出来る日」を待つことが出来る人は最初から死を望まないからです。
自然に死ぬ日すら待てない人が夢物語の実現なんて待てる訳がないんです。

「20年後に貴方はこの苦しみから解放される」と聞いた時、
希死願望者はそれを「あと20年も自分はこの苦しみから逃れられないのだ」と解釈します。
生きたいと思える社会が出来るまで一体何年かかるのか、10年20年はかかるでしょう。
その間我々は彼らを延々と延々と待たせ続ける事になります。
それはとても残酷な選択です。

……だからこの旨を述べる人は「情に厚い一般市民」ではないのです。
全体の為に平気で一部を切り捨てる癖にさも自分は善人でございと宣う「薄情者の一般人」か、
数十年と言わず数年で「生きたいと思える社会」を作るんだと宣う「情に厚い英雄候補」か、
全体の為に一部を切り捨てながら、それでも一分一秒でも早く作るんだと宣う「薄情者の英雄候補」か、
3つの内のどれかにしか当てはまらない、そういう人なんです。

……私は「薄情者の一般人」にすぎません。
他の方はどうなのでしょうか?英雄候補という奴はそんなに多いのでしょうか?
出来れば英雄候補が多い社会がいいですね、
そんな社会とっくの昔に『「生きたいと思える社会」を作れてる社会』になってると思いますが。
4:普通じゃない日本人 :

2020/07/27 (Mon) 04:21:22

情に厚い一般人は罪悪感に駆られて堂々となんて語れません。涙で顔洗ってから語ります。
少なくとも他人を批判しながら語りはしないでしょう。
5:普通じゃない日本人 :

2020/07/27 (Mon) 04:22:37

>>3
苦しみ→苦しむ人
6:大百科初心者 :

2020/07/27 (Mon) 16:37:09

私も原則的に、安楽死には反対です。この話題が出たのは、恐らく先のALS嘱託殺人事件を受けてのことだと思うのですが、現在メディアにより伝えられていることが事実なら、犯行に及んだ医師に対しては批判があってしかるべきだと思います。(全容はまだ明らかではありませんが)。

日本の場合、患者さんの痛みや苦しみや悩みや不安感などに対する緩和ケアの歴史がまだ浅く、これからまずやるべきは、『緩和ケアと心のケア』を一層充実させることでしょう。

安楽死・尊厳死についてはまず、公論化されているように、患者さん本人の意志確認が十分行えない場合の適用可否が難しいことがあります。なおかつ、この行為自体がいわゆるナチス的な『優性思想』と容易に結び付きやすいという問題が解決困難であることがあります。また、出生と同時に、例外なく必ず基本的人権(生存権を含む)を有することとなる現行法体系の中で、死の問題をどう位置付けるかも、極めてデリケートで難しいことです。ただこれらの点については専門家も多く、そこでは『安楽死の導入は時期尚早』と言う考えが主流であり、それに対する私からの異論もありません。


ただ、最近私の中での原則論を揺るがすことがおきたので、それを以下に書きます。コロナ禍におけるイタリアでの医療崩壊がきっかけです。

コロナ禍で医療崩壊を起こしたイタリアでは、自宅待機のまま呼吸困難に陥る患者さんが続出し、彼らには、酸素ボンベと酸素マスクが行き渡りませんでした。呼吸ができない苦しみというのを想像すると、心に強い痛みを感じます。

そのときイタリアの医師は、次善の策として、希望する患者さんには、モルヒネの経皮吸収製剤(貼り薬、徐々にモルヒネが体内に行き渡る)が配布したのです。過量のモルヒネを自己投与することにより、事実上苦しまずに命を終える手段を提供したのです。本当に最後の手段だったと思います。

何人の患者さんが自死を選んだのか数値は確認できていませんが、それを配布した医師が『一日分として用意した手持ち分が、午前中だけで切れてしまい、打ちのめされた。』と語っています。カトリック信者が多いイタリアにおいて、自死は厳に戒められるべきことであるはずですから、このことがイタリア人社会に与えた傷は極めて大きいでしょう。

イタリアでも医師が安楽死を幇助することは法律で禁止されていますから、この行為が今後どのように判断されていくのかわかりませんが、私自身は、トリアージ自体がやむを得ない行為だとされている以上、治療優先患者から漏れてしまった患者さん達の苦しみを和らげる必要は、やはりあったのだと捉えています。

今の日本でも、医療現場の逼迫については、常に神経を尖らせなければならない状況にあるし、もし遺伝子変異で強毒化かつ感染力も強い株が日本に上陸するなり出現するなりしてしまったら、イタリアと同じことが起きないとは言いきれません。他人事ではない話です。私なら、もし、治療を受けられなかったイタリア人患者と同じ立場になってしまったら、そのときは、呼吸ができないまま長時間苦しみ続けるよりは、苦しまずに命を終える方を選びたくなるだろうと思います。でもそういうときに日本の医師が、モルヒネ製剤を渡してくれるとは思えないですよね。今の日本では・・・。

また安楽死とは少し違う問題ですが、もっと身近であり共通の問題を含む話として、治る見込みが少ない高齢者における延命治療の問題があります。高齢者患者ご本人は延命治療を望んでいなくとも、いざ延命装置などを取り外す際の最終決定は、ご家族などに委ねられることが多いと思います。人間社会においては、命は本人だけのものではないということを再認識させられますが、このときご家族は苦しい決断を迫られます。延命装置を外した際に、患者さんは苦しまずにすんでいるのかどうか等もかなり気にかかるところです。
7:普通じゃない日本人 :

2020/07/27 (Mon) 21:13:23

>>6
……命の選別を否応なく強要される社会では
安楽死の優生思想染みた側面すら今更のように感じられ、
只しじまの中で死を望む声だけが響いている、といった具合ですかな。。

自殺に使われると分かっていて薬を提供するのと、その薬を本人の代わりに投与してあげるのと、
遠いようで近くて、近いようで遠いですよね、、、

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